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大分地方裁判所 昭和55年(ヨ)296号 決定 1982年10月27日

債権者

工藤武男

右訴訟代理人

釘澤一郎

須藤英章

小澤徹夫

中田裕康

行方国雄

債務者

別府市長

脇屋長可

右訴訟代理人

高谷盛夫

岩崎哲朗

主文

債権者の申請を却下する。

申請費用は債権者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  債務者は、別紙物件目録記載の土地について、別府市公設地方卸売市場施設建設のための基礎工事(クイ打ち工事など一切の地盤改良工事を含む)をしてはならない。

2  債務者は、別紙物件目録記載の土地上に別府市公設地方卸売市場施設を建設してはならない。

3  債務者は、別府市公設地方卸売市場施設建設のために公金を支出し、または契約を締結してはならない。

二  申請の趣旨に対する答弁

債権者の申請を却下する。

第二  当事者の主張

一  申請の理由

1  債権者は、別府市の住民であり、債務者は別府市長である。

2  債務者は、昭和五一年頃から、別紙物件目録記載の土地上に別府市公設地方卸売市場を開設する計画を立て、右計画を実行するため、「昭和五五年度別府市地方卸売市場事業特別会計」と題する予算案を調製した。

したがつて、債務者が右卸売市場開設事業のために公金を支出し、契約を締結もしくは履行し、債務その他の義務を負担し、または地方債起債手続を採ることが相当の確実さをもつて予測される。

3  債権者は、昭和五五年四月二一日、別府市監査委員に対し、前記卸売市場開設計画(以下「本件市場開設計画」という)が後記の通り地方財政法、卸売市場法に反する違法なものであることを理由に、地方自治法二四二条一項に基づき、債務者の右計画に基づく公金支出等前項記載の行為の差止の措置を求める監査請求を行つた。

これに対し、別府市監査委員は、同年六月一六日、右監査請求を棄却した。

4  債権者は、昭和五五年六月二七日、地方自治法二四二条の二第一項に基づき、債務者外一名を被告として、本件市場開設計画に基づく公金支出等の行為の差止等を求める住民訴訟を提起した(大分地方裁判所昭和五五年(行ウ)第二号事件)。

5  本件市場開設計画および右計画に基づく申請の趣旨記載の行為の違法性

(一) 地方財政法違反

(1) 本件市場開設計画においては、経常収入の算定の基礎となる市場取扱量を過大に見積つているが、実際には、市場開設のための借入金の金利を除いてもなお、経常収支において赤字となることが確実であり、構造的に赤字発生要因を有する。

これは、地方財政法二条、三条、四条に違反するものである。

(2) 右計画によれば、地方債の起債により公営企業金融公庫から元利合計五五億円余の資金を借入れ、昭和五五年度から同七一年度にかけて返済することになつており、返済額は毎年二ないし四億円以上にものぼるが、前記の通り本件市場事業の経常収支は赤字であることが確実であるから、右返済は一般会計からの繰入れに頼らざるを得ない。別府市財政は現在既に財政硬直化現象にあり、さらに右の如き莫大な固定費を負担することは、財政硬直化現象を右危機的状況にまで高めるものであり、地方財政法四条の二に違反する。

(3) 地方財政法六条は、公営企業経営の独立採算制の原則を定めており、一般会計から公営事業特別会計への繰出しは原則的に禁じられており、同条に定める例外的な場合にのみ繰出しが認められている。

右例外規定の運用につき、自治省は、「地方公営企業繰出金について(昭和四九年二月二二日自治企一第二七号各都道府県知事各指定都市市長宛自治省財政局長通知)」を示達し、卸売市場事業については、市場建設に伴う企業債の元金償還額の二分の一の範囲内に限つて一般会計からの繰出しを認めている。

右範囲の繰出しであれば全て地方財政法六条に違反しないということはできないが、本件市場開設計画においては、前記の通り、元金の二分の一はおろか、元利金のほとんど全額について一般会計からの繰出しに頼らざるを得ないのであつて、前記行政庁の基準にすら違反しており、明らかに地方財政法六条に反する。

(二) 卸売市場法違反

別府市の現卸売市場は、卸売市場吸引指数(青果1.718、水産物2.517)の示すとおり、別府市のみならず近隣地域にも商圏を確保し、十分にその機能を果たしている。現市場に施設の老朽狭隘化、駐車難等の問題点があるとしても、これらは、現市場の改善整備の論拠となりえても、直ちに新市場開設の必要性に結びつくものではない。本件計画は、新市場開設の必要性について十分な検討が加えられないまま進められてきたものであるが、新市場の開設にはかえつて、入場業者の採算性の悪化、消費地からの遠隔化、道路問題、現市場閉鎖に伴う補償問題等多くのデメリットが伴う。

結局、新市場計画は別府市にとつて必要ないばかりかかえつて有害であり、生鮮食料品取引の適正化と生産及び流通の円滑化を阻害し、遂には国民生活の安定を阻害するものであり、卸売市場法一条に違反する。

(三) 債務者は予算の調製及び執行を担当し、それについて一定の裁量権を有するが、この裁量権も法律の規定によつて当然に画される。本件市場開設計画は、誤つた資料と杜撰な見通しに基づくもので、右裁量権の行使の限界を逸脱した違法なものである。

6  保全の必要性

本件市場建設費予定額は四二億円余であり、借入金金利を加えると約六四億円が新市場建設に投下される資本となるが、建設された市場施設は前記のように別府市にとつて不必要なものであり、これを他に転用することも不可能であるから、右投下資本全体が市の損害となる。さらに新市場は毎年数百万円以上の経常損失を市に及ぼすことは必至である。本件計画が実行されてしまえば、債権者が本案の住民訴訟で勝訴しても、もはや取返しがつかず、市に回復困難な損害を生ずるおそれが強い。しかるに、債務者は、工事の着工を強行しようとしており、保全の必要性が存する。

7  よつて、債権者は、本件市場開設のための債務者の債務負担行為申請の趣旨記載の行為の差止を求める。

二  債務者の答弁

1  本案前の抗弁

本件仮処分申請は、地方自治法二四二条の二第一項一号に基づく差止請求を本案訴訟とするものであるが、この差止請求の規定は、英米法における永久差止命令と暫定的差止命令の両者をまとめて導入したもので、当該行為を事前に禁止または制限することを求めるものであり、将来の不作為給付の請求であつて、これを認容する裁判は消極的職務執行命令にほかならない。このような公法関係については、地方公共団体の長を相手の民事訴訟法上の仮処分の申請は許されない。

また、地方自治法二四二条の二第一項一号に基づく差止請求については「回復困難な損害を生ずるおそれがある場合に限り」訴を提起しうるものと定められている(同項但書)が、右要件は一般に保全処分における保全の必要性の要件として掲げられているものである。すなわち、右規定は、差止請求を訴をもつてすることを認めたものであつて、これを仮処分の申請をもつてすることを認めたものとは解し得ず、本件申請は裁判所の権限に属しない。

2  申請の理由に対する認否

申請の理由1ないし4の事実は認める。

同5(一)(1)の事実は争う。

同5(一)(2)のうち、借入金の返済を一般会計からの繰入れに頼らざるを得ない事実は認めるが、地方財政法違反との主張は争う。

同5(一)(3)のうち、自治省が債権者主張の通知を示達した事実及び地方債の元利償還のほとんど全額について一般会計からの繰出しに頼らざるを得ない事実は認め、その余の主張は争う。

同5(二)、(三)、同6の各事実は争う。

3  債権者の主張(地方財政法六条について)

地方財政法六条は「当該公営企業の性質上能率的な経営を行つてもなおその経営に伴う収入のみをもつて充てることが客観的に困難であると認められる経費」については独立採算制の原則の例外として、一般会計からの繰入れを認めている。これは、もともと不採算となることが明らかでありながら、公営企業の公共性の見地から営業活動を行わなければならない場合に必要となる経費については、当該企業に負担させることが困難であることから、例外として認められているものである。本件における地方債償還費についてはまさに右例外規定が適用される。

債権者主張の局長通知は、最近における社会経済情勢の推移及び地方公営企業に対する毎年度の一般会計からの繰出が多額になつている現状に鑑み、地方財政の健全な運営の見地から示達された指導上の指針ないし基準にすぎず、法的拘束力を有するものではない。

理由

一本件仮処分申請は、地方自治法二四二条の二第一項の規定による住民訴訟を本案とするものであるところ、住民訴訟は行政事件訴訟法五条の民衆訴訟に該当し、同法の適用をうける。しかるところ、同法四四条は、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については、民事訴訟法に規定する仮処分をすることができない旨規定しているが、本件で債権者が住民訴訟によつて差止を求めている債務者の行為はいずれも同条に謂う「処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当しないと解すべきであり、他に民事訴訟法による仮処分の適用を排除する規定は存しないから、同法七条により、本件の住民訴訟については、民事訴訟法の仮処分の規定の適用を受けるものと解するのが相当である。債務者は、地方自治法二四二条の二第一項が、同項一号の差止請求は当該行為により地方公共団体に回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合に限ると規定しているところ、右要件は一般に仮処分の保全の必要性の要件とされるものと同一であるから、右差止請求は訴の形をもつてのみ行いうるものである旨主張する。しかしながら、右要件が仮処分における保全の必要性に類似するものであることから直ちに、地方自治法二四二条の二第一項が、差止請求について、仮処分の規定の適用を排除するものであると解することはできないから、債務者の右主張は採用できない。

二1  申請の理由1ないし4の事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、本件市場開設計画が違法であるか否かにつき、以下検討する。

(一)  疎明資料によれば、本件卸売市場開設計画において、用地取得及び市場施設建設に必要な資金は国、県からの補助金及び地方債の起債によつて調達し、資金の大部分を占める地方債の元利金の償還については、市場開設後の使用料収入が営業費用を賄いうる程度しか見込めないため、その大半を一般会計からの繰入れによつて行うものとされていることが認められる。

(二) 債権者は、右のように地方債の元利金の償還をもつぱら一般会計からの繰入れによつて行うことは、公営企業の独立採算制の原則を定めた地方財政法六条に違反する旨主張するので、まずこの点につき検討する。

地方財政法六条は、公営企業のうち政令で定めるものについて、その経理は、特別会計を設けて一般会計と区別して行い、その経費は原則として企業の経営に伴う収入をもつて充てなければならないとして、独立採算制を経営の基本原則とすることとし、同法施行令一二条は、市場事業は地方財政法六条の適用を受ける公営企業と定めている。このように、地方公営企業において独立採算制の原則がとられているのは、公営企業が地方公共団体の他の事務と異なり、住民に提供する財貨、サービスの効果が特定の個人に帰属するものであることから、その経費は直接に財貨やサービスを受ける者が料金、使用料の形で負担することが衡平の原則に合致すること、事業の合理的経営の確保のためには、独立採算制によつて公営企業の責任体制を明確にすることが望ましいと考えられること等によるものである。

しかし、公営企業も住民の福祉の増進を目的とする点では、地方公共団体の一般行政事務と異ることはないから、営利性、採算性を第一とする民間企業と異なり、企業ベースにのらない活動でも公共性の見地から実施せざるをえない場合もあり、また、本来一般行政事務に該当する活動も事業の一環として行なうことも考えられる。このような場合には、受益者負担、独立採算制の原則を貫くことは困難であり、それ故、地方財政法六条は、公営企業の経費のうち、「その性質上当該公営企業の経営に伴う収入をもつて充てることが適当でない経費」及び「当該公営企業の性質上能率的経営を行なつてもなおその経営に伴う収入のみをもつて充てることが客観的に困難であると認められる経費」については独立採算制の例外として一般会計からの繰入れを認めているのである。

これを本件のごとき市場事業についてみると、地方公共団体が市場事業を公営企業として行う目的は、生鮮食料品の流通の安全や価格の安定、食品衛生管理の徹底等による住民の福祉の向上にあることはいうまでもない。ただ、市場事業においては、企業活動により直接サービスの提供を受けるのは市場施設を使用する市場業者(卸売業者)であつて、地域住民は間接にその利益を享受するという関係にあり、この点において、水道、電気、ガス、交通等、住民個々人に直接財貨やサービスを提供する他の公営企業と異なるが、住民は実質的には受益者であるということができる。したがつて、独立採算制の原則、受益者負担の原則からすれば提供される便益に対する受益者の負担は、本来、市場業者と地域住民が、その受益の割合に応じて分担すべき筋合であるが、市場業者の受益の程度に応じた使用料の適正妥当な額を決定することは困難であるのみならず、地域住民の負担分を直接徴求することはできないので、形式的には市場業者から使用料として徴求するほかない。しかしながら、本件のような莫大な市場施設建設費用についてまで、企業の採算性の見地から、市場業者から徴収した使用料をもつてこれに充てようとするときは、使用料は非常に高額なものとならざるを得ず、市場業者の経営を圧迫し、経営悪化による安定供給の阻害、取引価格への転嫁等、かえつて前記の卸売市場事業の目的に背馳する結果を招来しかねないこととなる。このような市場事業の特質に鑑みると、地方債の償還費については、地方財政法六条に謂う「能率的経営を行なつてもなお企業収入のみをもつて充てることが客観的に困難であると認められる経費」に該当すると解するのが相当である。

債権者は、地方債の元利金の償還のほとんど全額を一般会計からの繰入れに依存することは、市場建設に伴う企業債の元金償還額の二分の一に限つて一般会計からの繰入れを認めている「地方公営企業繰出金について(昭和四九年二月二二日自治企一第二七号各都道府県知事各指定都市市長宛自治省財政局長通知)」にも反するものであり、地方財政法六条に違反することが明らかである旨主張する。しかし、右通知は、地方公営企業の経営の健全化、経営基盤の強化のために地方財政計画において計上される地方公営企業繰出金の基本的な考え方を示し、これに従つた繰出しについては地方交付税等において考慮するとして、一般会計から公営企業特別会計への繰出しについて望ましいと考えられる一応の基準を定めたものであつて、右基準を超える繰出しが行なわれたからといつて、直ちに地方財政法六条に違反するということはできない。

以上述べたところにより、市場事業における地方債償還経費は、同条の「当該公営企業の性質上能率的な経営を行なつてもなおその経営に伴う収入のみをもつて充てることが客観的に困難であると認められる経費」に該ると解するのが相当であるから、債権者の地方財政法六条違反の主張は失当である。

(三)  その他、債権者は、本件市場開設計画は地方財政法二条、三条、四条、四条の二、卸売市場法一条に違反し、予算の調製、執行についての地方公共団体の長の裁量権の範囲を逸脱するものである旨主張をする。右地方財政法の各規定は、地方公共団体の財政運営、特に予算の調製、執行等における基本原則を定めたものであるところ、地方公共団体の長は、予算の調製、執行等財政運営に関して裁量権を有するから右裁量権の範囲を逸脱しない限り、前記地方財政法各条違反の問題は生じないものと解すべきである。また、卸売市場法一条は、同法の目的を定めた規定であつて、卸売市場の開設、運営等につき開設者が守るべき準則を定めたものではないから、右法条違反の問題は生じない。しかるところ、全疎明資料を検討するも、本件市場計画に基づく新市場の開設が、債権者主張のように、不必要なものであるばかりでなく、別府市の財政を破綻に陥れ住民の福祉に反する有害な結果をもたらすものであるとは認めがたい。ほかに、債務者の前記裁量権の範囲の逸脱を認めるに足りる疎明資料はない。従つて、債権者の右主張も採用できない。

三以上の次第で本件市場開設計画に関する債権者の違法の主張はいずれも理由がなく、本件仮処分申請は被保全権利たる差止請求権につき疎明がなく、かつ、保証を立てさせて疎明に代えることも相当でないので、これを却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(野村利夫 永田誠一 山下郁夫)

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